『箱館戦争と碧血碑』出版記念、木村裕俊さん講演会

函館戦争終結150年記念

会期 2019年03月17日(日)
時間 11:00~12:30
場所 函館蔦屋書店2階ステージ
参加費 無料
申し込み方法 申込み不要です。会場に直接お越しください。
定員 40名
講師/先生 木村裕俊さん
主催 函館蔦屋書店 書籍
共催・協力 -
問い合わせ先 函館蔦屋書店 書籍担当(福島) 0138-47-3771
HPリンク先 -

※上記の会場は、イベント実施中は貸切となりますのでご了承ください。

『箱館戦争と碧血碑』出版記念、木村裕俊さん講演会

函館戦争終結150年記念

 

函館の郷土史家 木村裕俊さん は、このたび「箱館戦争と碧血碑」という本を出版されました。
この本の出版を記念して、以下のように講演を行っていただくことになりました。
以下は木村さんからのメッセージです。どうぞ、ご参加ください。


函館蔦屋書店講演会 『箱館戦争と碧血碑』のお知らせ

本年、二〇一九年という年は、一八六九年(明治二年)に箱館戦争が終了してから、百五十周年の節目を迎える年に当たります。
明治維新の前年、に戊辰戦争が始まり、箱館戦争へと発展し多くの戦没者が生じました。一八六八年(慶応四年・明治元年)のことです。幕末から明治にかけての動乱の中で、大政奉還をしたはずの幕府を相手になぜ「戊辰戦争」が起きたのでしょうか。江戸城が無血開城されたのに、なぜ「箱館戦争」へと発展していったのでしょうか。

一八六七年(慶応三年)、榎本武揚が新造された開陽丸に乗って五年ぶりにオランダから帰国すると、祖国は革命の最中にありました。徳川慶喜が大政を奉還したのち、新政府は「王政復古の大号令」によるクーデターを起こして、戊辰戦争へと持ち込んだのでした。そして平和裡に「大政奉還」したはずの幕府に、「賊軍」の汚名を着せ「朝敵」にされてしまったのでした。
その年四月に江戸城が無血開城されると、徳川宗家四百万石と旗本家臣団三百万石は七十万石に石高を減らされて駿河に移封され、ほとんどの幕臣は路頭に迷うことになりました。榎本は新政府に対して、旧幕臣の救済措置と徳川家の名誉回復を要望したのですが、答えは「新政府に逆らう者はつぶす」。新政府側は、榎本らを「箱館戦争」へと追い込んでいったのでした。

「箱館戦争」が終わった時、新政府軍は自軍の犠牲者は招魂社に手厚く葬りましたが、旧幕府軍の遺体は路傍に放置したままでした。これを箱館市民が自主的に収容して、埋葬したのです。「亡きがらに敵味方はない」との人道的な考えからだといわれています。

この旧幕府軍の戦没者の七回忌に当たる年の明治八年(一八七五)に、函館山の麓に建立されたのが「碧血碑」です。榎本武揚ら旧幕府軍で生き残った人たちが、世間を憚りながらも「碧血碑」を建立して慰霊することとしたのです。「碧血碑」の創建者の一人である大鳥圭介は「義に殉じた彼らの血は〝碧玉〟となった」として、碑銘にしたのだといいます。「碧血碑」に眠る旧幕軍の兵士たちは、まさに「碧玉の志士」といえるのではないでしょうか。

今年に入って、箱館戦争が終了し150周年となる今年を記念して『箱館戦争と碧血碑』という著書を発表しました。その中で、「箱館戦争」がなぜ起こったのか、「碧血碑」がどうして函館に作られたのかを紹介しています。今回の講演会では、その概要を語り幕末から明治に至った動向をもう一度考え直してみたいと思っております。

平成31年3月17日の講演会を前に。
『箱館戦争と碧血碑』著者  木 村 裕 俊


木村裕俊さんのプロフィール

名 前  木村裕俊 (Hirotoshi Kimura)
略 歴
1947年 北海道桧山郡江差町に生まれる。
2008年 鉄道建設技術者(技術士資格)を定年退職し、奈良大学に再入学し歴史学を学ぶ。
2011年 奈良大学文化財歴史学科を卒業。
2012年 同大学において学芸員資格を取得。
2013年 「平成25年度、神山茂奨励賞」を受賞。

著 書 など
『文献史料で読み解く渡嶋蝦夷』  島本出版  2011年
『【現代語訳】新羅之記録』     無明社出版 2013年
『願乗寺川物語』         長門出版社 2015年
『道南十二館の謎』  北海道出版企画センター 2017年
『覆刻版 碧血碑物語』       三和印刷 2018年
『箱館戦争と碧血碑』        三和印刷 2018年
『文芸・江さし草』に、連載執筆        2013 年~